異常気象のニュース
猛暑のニュースが流れ続けている。
今日は、過去最高気温だ、とか、何年に一度の気象現象だとか。
何人が熱中症で搬送され、今月中に何人亡くなったとか。
フェーン現象だとか、なんだとか、ノストラダムスの予言みたいなもの、心のどこかで求めている。
それは、冬でも夏でも春でも秋でも。いつでも、ニュースは異常気象を伝えている。
桜が、この時期に咲くことは今までなかった。とか。
川に大量のクラゲが発生している、とか。
「ずっとここに住んでるけどね、これほど雪が降ることなんか、今までなかったよ。」と地元民のおじいちゃんががインタビューに答える。
雪害についても、キャッチーな画面で、これだけ雪が降って、ガレージがつぶれました。と映している。
気象災害を取り上げすぎのような気がする。記録的豪雨、記録的大雪、記録的気温。
毎年、そうテレビは言ってる。記録的。と。
常に、不安になりたい私たちは、心のどこかで、そのフレーズを待っている。
もちろん、メディアが大きく取り上げることによって、
「野球部のときはさ、ほんとキツクて、こっそりトイレの水とか、水たまりの水さえのんだもんな。」とかいうサラリーマンが減ることに貢献しているとは思う。
彼らは、それを武勇伝のように語るが、それは時代がそうさせなくなってきているのは非常に良い事のように感じる。
地球が滅亡に向かっているように捉えたい。
全部、一度、ゼロにしたい。
子供の頃、台風が来て、家の瓦が飛ばされたとき、私は素直に嬉しかった。
このまま、家も飛ばされて、そして、みんないなくなって、一からやり直せるか、ゼロになるか。
日本の少子化を懸念する声も、心地よい。
発展は、一見、希望に満ち溢れ、私たちの生活を豊かにするように思うのだけれど、大体みんな実は分かっている。
一度、自分の実害の無いところで、リセットできたらいいのに、という気持ち。
死にたくはない、でも、このまま生きていくことにもなんだか満足できない、だったら、全部リセットしてみたい。不謹慎。
不謹慎のきもち、やましさが、びみょーに分かるから、否定したくなって、SNSで不謹慎を叩いて、叩くことで自分が叩かれないラインに居られるはずだと。
人間は、明らかに増えすぎていて、このままいけば、食糧問題や、石油問題、土地問題。問題やまずみなこと、きっと生き物の本能として、脳の奥にインプットされているのかもしれない。
だから、政治家が、LGBTに批判的な発言をすると、烈火のごとく叩かれる。
子供をもうけられないことが非生産性と捉えられることは、明らかに差別だが、それと同時に、これ以上、日本の狭い国土に人口を増やすことは、滅びに繋がるというような本能があるのかもしれない。
私は、でも、子供は絶対的に、愛されなければならないと思っている。絶対に、命は愛され、冒涜されてはならないと思っている。
唐揚げをたべながら。どこかのブロイラーで、狭い檻の中で一生を終える鶏をおもいながら。